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スタッフのひとりごと

くわばらくわばら

地震・雷・火事・親父

2013/03/14

昔から怖いものの代表として「地震・雷・火事・親父」と言われてきました(最近においては「親父」の存在感は少々(多少?かなり?随分?)変化しているようですが・・・)。
地震と雷の発生メカニズムは、ほぼ解明出来ていますが防止はまだまだ不可能です。昔の人々は人間の力が及ばない自然の力を「神の力」によるものと信じていたようです。
そりゃあそうでしょう、だってそれしか説明がつきませんものねえ。


さて雷や怖そうなことが起きそうになると、それらを避けるための「お呪い(おまじない)」の言葉に、「くわばら、くわばら」と言うのがありますが。皆さん使いますか?
「初めて聞いた」って? そうですか、ならば覚えてください、役立ちます。


この「くわばら、くわばら」は雷除けの「お呪い」として古くから使われていたようでありますが、その語源はかなりややこしいのです。
それは「風が吹けば桶(おけ)屋が儲かる」的理由なのだそうであります。


話が少々飛びますが、北陸地方では子供(特に男子)のために、学問の神様にあやかろうと、天神様を祀る信仰があります。実はこの天神様すなわち菅原道真公が「くわばら、くわばら」の源とされていることをご存じでしたでしょうか?


(1) 菅原道真は九~十世紀に活躍した、今でいう高級官僚でした。

(2) 地方勤務時代に発揮した類まれな能力が評価され、朝廷に仕えることになりました。


(3) そこでもその能力は遺憾なく発揮され、天皇から重用されるようになりました。

(4) それを快く思わない勢力によって天皇に讒言(※ざんげん)されてしまいました。

(5) その結果、都から太宰府(九州)へ左遷されてしまいました。

(6) 道真はそのわずか二年後、大宰府で生涯を終えてしまいました。

(7) 亡くなったあと、政敵の家族や天皇家において怪死する人が連続し、また都では天変地異が続き、宮殿でも落雷による死傷者が多数出たそうです。

(8) 人々はこれを「菅原道真の怨念(おんねん)による祟(たた)り」だと考えました。

(9) その怒りをとくために朝廷は生前の罪を許して官位を復官し、霊を鎮めるために大宰府天満宮が造営され祀られました。
更にその後京都北野の地に「北野天満宮」を配し、同じく祀られました。
共に神様としての神号が与えられ「天満大自在天神」「北野天満宮天神」として崇められるようになりました。
加えて死後70年間で3度にわたり官位が増官(昇進)されました。

(10) その結果、祟りは収まり、天神様は雷神とも呼ばれるようになったとさ・・・

  
いやいや、これでおしまいではありません、ここからが本題です。


(11) 都で祟りが続いたころ、菅原家が領地としていた「桑原」の地にだけは不思議と落雷がありませんでした。

(12) よって人々は今どこにいようが無関係に「くわばらくわばら」すなわち「ここはあなたの領地ですよ、雷を落としてはいけません」と呪文を唱えて、雷様をだまそうとするようになったそうです・・・バレた時はもっと怖そうですけど。


この他にも、いろいろな言い伝えがあるようです、例えば


(1) 桑原の地名は、桑の畑が多くあったところから名付けられました。

(2) その広い桑畑の中に井戸があったそうです。

(3) ある日その井戸に雷が落ちたのですが、土地の人がすかさず蓋をしたところ、井戸の中に閉じ込められてしまった雷様が「桑畑(桑原)は嫌いだ!」と言って以来、桑畑には落ちなくなったとさ・・・


                                      
≪おまけ≫
 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)
 大宰府へ向かう時に、こよなく愛した梅の前で詠んだと伝わる有名な歌(和歌)です。
  東風が吹いたら(春になったら)その風に乗せて、大宰府まで香りを届けてくれ、梅の花よ。私がいなくなっても、春を忘れるなよ(忘れないでおくれ)。



おっしまい


※讒言 : 事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人を目上の人に悪く言うこと。・・・goo辞書


以上「ああだ、こうだ」のKでした